ヒーリングウェーブを掛けても、デュラシアは起き上がってこなかった。 その後シキの手によって様々な起床法(という名の悪戯)があったわけだが、それでもデュラシアは起きてこず、女子寮の床に放置もしておけないので、一先ず一同は男子寮の空き部屋に運ぶことにした。空き部屋の為にあるのは備え付けの簡素なベッドだけだが、横にさせられるだけのスペースがあれば十分。ユウリとマサキが倉庫からマットとシーツを持ってきて、ベッドとしての機能を成したところでデュラシアをゆっくりと寝かす。 因みにデュラシアを運んだのはアリアンだ。その場にいたメンバーは女三人に男が二人。当然のようにアリアンが運ぶことになった。お姫様抱っこをされて運ばれるデュラシアは、一寸した笑いをイオ達に提供した。 マサキとアリアンの二人が何故都合良く下にいたかといえば、これまた都合良く遊びに来ていただけだという。 入り口でバッタリ会ったからそれなら一緒に行こう、ということになり、入ってみたらシキが階段下で煙草を燻らせていた。立ち話をしていれば上から悲鳴、三人で駆けあがろうとした矢先に小瓶が降ってきたというわけだ。 ご都合主義と云われようが、事実なのだから仕方ない。 「……はっ、もしや今のは悲鳴にかこつけて男子禁制の聖地、乙女の花園へ侵入する千載一遇のチャンスだったのではー!? あばばば、あばばばばばーっ!」 頭を抱えて軟体生物のように身体をよじるシキに、女性陣の冷たい視線が浴びせられたが、それは隅に置いておく。どうでも良いことだ。 マサキとアリアンはこれまでの経緯を軽くシキから聞いていたようで、ひと段落したイオに労いの言葉を掛けた。面白いこと好きのマサキはしょんぼり顔でボクも混ざりたかった、と云ってから、「でも、デュラシアさんに迫られるとかちょっぴりいいなぁ〜ってボク思っちゃった!」、と元気良く云い放って、イオを氷漬けにすることに成功した。 「私はマオさんとお約束していますから、これで」 最後までいられないのは残念ですけれど。一頻り会話を眺めてから、ユウリは陽溜まりのような笑みを残して退室した。 これから弟と会う親友の背中に、イオは何かを云い掛ける。云い掛けて、唇で“頑張れ”を呟くだけに留めた。 恋人の妹と己の弟が、恋仲になったらいいのに――内心そうは思うけど。 それは本人たちが決めることだ。 ユウリを見送って、そのすぐ後にシキとアリアンも仲睦まじく退室した。 以下経緯。 「シキさん解毒剤ありがとーなのー!」 「いやいや、イオちゃんが無事でなによりさー」 「マサキとアリアンさんもとっても良いところに来てくれたのだよー!」 「えへへ、ボク褒められちゃったっ♪」 「私もですかな? ふむ、イオ殿にそう云って頂けるのは有難いことですな! むん!」 「そうだねー、マサキちゃんのナイスキャッチは見事だったし、アリアンさんのおかげで姫抱っこされるデュラデュラっていう面白いものが見れたしね。全くデュラデュラってば羨ましい限りだねーあっはっはっはっ」 「むむん!? 愛しのシキ殿から要求とは光栄の極み……! このアリアン・ブリジヘッド、移動中の姫抱っこだけと云わず、朝のお世話夜のお世話それこそベッドの中まできっちりとシキ殿のご要求に応えてみせますぞ、いや是非とも応えさせて下され! さあ遠慮なさらずに!!」 「いやいらないよ!? いらないよアリアンさん!? オレの清き身体のお世話は可愛い可愛いマイエンジェルだけに任せぎゃぁぁぁぁあああああああ!!?」 まあ、そういう理由で。二人は仲良く鬼ごっこ中だ。 補足説明をするなら、アリアン(♂)はシキ(♂)にべた惚れだったりする。べた惚れというよりべっとり惚れだよねー、と評したのは当のシキだ。彼の愛はヘドロ並、と云いたいらしい。 ――閑話休題。 その為、現在部屋にいるのはイオとマサキだけとなった。 「でもシキさん、よく“天上の星”を見つけて来たね」 小瓶を振ってマサキが云う。天上の星?、とイオが首を傾げば、マサキはこくりと頷いた。 エンジェルのマサキ曰く、ホワイトガーデンにある特別な花の蜜から作られる薬だそうだ。所謂万能薬――薬によって引き起こされた症状を無力化してくれる薬だという。無力化出来る症状は一つだけらしいが、今回は魅了状態を解除出来れば問題ないので薬も一つで十分。尚、“薬の効果を打ち消す薬”だから、病気自体を治してくれるものではないとマサキはイオに説明した。 製法が特殊な為に、ホワイトガーデンの市でもあまり出回っていない希少なものらしい。この数時間で、シキは随分と頑張ってくれたようだ。 興味本位でシキがデュラシアに飲ませた薬の特徴を伝えてみたけれど、フラスコに入っていたピンクの薬については知らなかった。少なくともホワイトガーデン産ではないだろうとのことだ。 「紫とピンクで、マーブル模様で、どろってしてて気持ち悪い感じ。……実は地獄産、とか?」 軽口のつもりだったマサキはケラケラ笑っていたけれど、実物を見たイオは笑えない。その可能性を全く否定出来ないくらい、惚れ薬の色は毒々しかった。 「じゃ、開けるのだよ」 イオの言葉にマサキが頷く。小瓶の蓋を開けば、きゅぽ、とやや間抜けな音と共に甘い香りが鼻腔を擽った。香りだけかと思えばすぐに金色の煙が瓶の口から昇り、粒子は円形となって空中でふわふわと漂い始める。まんまるの虹みたい、とマサキが感嘆の声を上げた。 ホワイトガーデンの空には、ホワイトガーデンの何処からでも見ることが出来る円形の虹が存在する。確かに云われてみれば、それはホワイトガーデンの象徴のようだった。 時間にして十秒もあったろうか。マサキ曰くの“まんまるの虹”は空気に溶けて、小瓶の液体はうっすらとしたオレンジ色になっていく。まるで朝焼けだ。 美しいものを見れたお得感を感じながら、イオはベッドの縁に手をついてデュラシアの顔に近付いた。マサキに枕を高くしてもらってデュラシアの頭を少し上げ、無理矢理口を開けて流し込む。喉の動きを見て、嚥下を確認。 二人同時に息を吐き、笑う。ミッションコンプリートだ。 「これでデュラシアさんはもう大丈夫かなー?」 「だと思うけど。薬の出処も確かなものだって、マサキのおかげで解ったし」 あはは、と空笑いを零した。マサキが知っていて本当に良かった、万一にもこれがインチキ薬だったら本当に笑えない。 あとはデュラシアが目覚めれば全部おしまい。エンディングに向けて一直線。 ――とはならないのがお約束というもので。 バタン、でも、ガチャ、でもなく。 ズガァァァ、と腹に響くくらいの音を立てて、扉が開いた。 凄まじい勢いで飛び込んできた人物に、赤と灰の視線が集まる。飛び込んできたのは未来に羽ばたく希望のツバサ・セラフィーユ(a33625)と、デュラシアの妻のアヤだ。 「お邪魔するよ〜♪」 「デュラシアさんの浮気現場は此処ですかっ!?」 セラフィーユに手を引かれる形で現れたアヤは、イオとマサキ、デュラシアを見て部屋の一歩手前で硬直した。瑞々しかった白百合の花が少しずつしおしおになっていっている、気がする。 デュラシアに覆い被る形になっていたことに気付いて、イオは即座にデュラシアから離れた。ユウリに誤解された前科がある。また繰り返すのは勘弁だ。 「みんなやっほ〜…って、あれ、デュラシアさん寝てるのカナ?」 「? なんでユイさんとアヤさんが?」 デュラシアに近付き顔の前で手を振りだすセラフィーユに、イオは当然の疑問を尋ねた。セラフィーユはよくぞ聞いてくれました!、と眼を輝かす。 「チロルさんからデュラシアさんがイオイオを追っかけてるって聞いて、面白そ〜って二人を探してみたら! ななななな〜んと、あちこちでデュラシアさんとイオイオのラブストーリーを聞くじゃない!? これは面白違った大変だ〜って思って!!」 「「らぶすとーりぃ!?」」 イオとマサキの声が重なる。「うん♪」、と彼女は心底愉しそうな顔で頷き、聞いてきた噂を並べ立てた。 イオがデュラシアを捨てたから追い縋っている、とか。デュラシアは年の差で悩んでいたが、ついにイオへの想いが爆発してしまい追いかけている、とか。実は二人は生き別れの兄妹で愛し合っているのに、道徳を重んじたイオはデュラシアの想いに応えられなくて逃げている、とか。 「……なにそれ」 「だから、デュラシアさんとイオイオのラブストーリーだってば♪ あちこちでこの話聞いたよ〜」 イオの意識が遠くなる。なんだそれ、どういうことだ。――確かにあれだけ愛を叫びながら追いまわしていたら、普段のデュラシアを知らない人に誤解されるのも、ある程度仕方ないとは思うけど。誰が云ったかは知らないが、皆の想像力がたくましすぎる。 仰向けに倒れかけたところでマサキが支えに入った。椅子から落ちかけたイオを引き戻し、喋る元気も無い彼女の代わりにマサキが話す。 「それで、セラフィーユさんはアヤさんを連れて来たの?」 「そのと〜り! ユイちゃんは、デュラシアさんに、アヤさんの前で真実を語ってもらわなくてはって思っちゃったわけです! イェイ♪」 セラフィーユだって、噂話を鵜呑みにはしていない。けれどもデュラシアがイオを迫っているのはチロルから、イオが追いかけっこから休憩していた旨はミアから聞いていたので、全くの嘘八百だとも云い辛い。そもそも、デュラシアが大事にしている“秘蔵紅茶”を巡った、デュラシアとイオの追いかけっこだけなら名物と化しているのだ。突然恋愛が絡みだしたのには、何か理由があるとセラフィーユは推理した。 セラフィーユの推理は、確かに間違っていない。 間違っていないけれど。 アヤへの伝え方が間違いまくっていた。 「デュラシアさんがイオイオに浮気してるって聞いたから、ホントのことを訊きに行こ〜よ、って♪」 「間違ってないけど間違ってるよ!」 「……ユイさんそれわざとでしょ」 「イェイ♪」 総ツッコミを受け、セラフィーユは顔の前でピースを作って誤魔化した。ツワモノだ。 念の為、セラフィーユの沽券に関わるので記しておくが、彼女は自分の行動によって、デュラシアを巡ったドロドロ劇が始まるとは露ほども思っていない。デュラシアがアヤを裏切る筈が無いと、他の人間と同じくセラフィーユだって当たり前のように解っているからだ――というのと、もうひとつ。 実は騒ぎの中心を探しているうちに、事情を知っている人間から詳しい話も聞いていたからである。三人の仲が悪くならないと確信した上での、セラフィーユ的に云うなら“オチャメな悪戯”だ。 ――最も、そのアオリを喰らったアヤからすればたまったものでは無いが。 セラフィーユから聞いた時、自分の恋人を信じようとする気持ちは勿論あっただろう。が、アヤはデュラシアに覆い被さるイオの姿を網膜に焼き付けてしまった。脳がオーバーヒートを起こしたのも当然だ。 「……ふぇっ…」 セルフ石化が解けたアヤの瞳に、大きな涙の粒が浮かぶ。次から次へと零れ落ちる涙はショックのせいというよりもデュラシアへの愛情故。 「で、デュラシアさん、はっ、わたしの旦那様、ですっ! イオちゃんでもぜったい、ぜったい渡せませんん…っ」 嗚咽混じりに泣きじゃくるアヤに、その場の全員が眼を向いた。単純に焦るデュラシアが見れると思ったセラフィーユもこれには予想していなかったらしく、冷や汗が流れる。 「アヤさ、」 「でゅらしあさんとっちゃ嫌ですー!」 三人が何か云う前に、アヤはデュラシア目掛けて小走りで駆けた。広い部屋では無い、助走という程のものでもない。ただ彼女は衝動に任せて、愛しい夫の胸に飛び込もうとしただけだ。 走りだしたアヤにイオがぎょっとする。 制止の声を上げ掛けるも、それは叶わなかった。 「きゃんっ」 「……ん」 アヤがベッド手前ですっ転んだ。 ナイスタイミングと云うべきか。同時にデュラシアの眼がうっすら開く。 「あー…此処何処ぶふッ!?」 仰向けで寝ているデュラシアの胸に華麗な肘打ちが落とされる。わざとではないにしろ、転んだことによる勢いによってアヤの体重以上が圧し掛かる。安いマットがデュラシアごと沈み、木が軋む音がする。 肘から倒れ込んだアヤの豊満な胸が押し当てられるが、哀しいかな、デュラシアはその感触に意識を裂けなかった。暫く金魚のように口をぱくぱくさせた後、四肢の力が抜けて行く。 「きゃあ! デュラシアさん……っ。わわわ、ごめんなさいぃ〜!」 目覚めた拍子に重い一撃を喰らい、デュラシアの意識はまた闇に沈んだ。 後のセラフィーユは、『歴史に残ってもおかしくない、それはそれは綺麗なエルボーだった』と語る。 「あー…やっちゃったかー…」 「イオイオどういうこと?」 頬を掻くイオにマサキが尋ねる。セラフィーユも意味が解らず、唇に指を当てた。 「アヤさん、転び癖があるのカナ? ドジっ子属性とか?」 「いや、転び癖っていうか……ドジっ子はドジっ子なんだけど、なんてーか……」 疲れ果てた声で、ぼそり。 「アヤさん、超絶運動音痴なのだよね」 「「あー……」」 イオの暴露にマサキとセラフィーユが頷く。歌声で部隊を壊滅出来る。ファナティックソングよりタチが悪い。兵器レベル。そう例えられる歌唱力ばかりが目立って影に隠れていたけれど、アヤの運痴も結構なものだ。……これを機に、彼女は一寸身体を動かす努力をした方がいい気がする。努力をした上での現状かもしれないが。 白目を剥いて揺さぶられるデュラシアを見て、これで本当に一件落着かな、とマサキが呟いた。 まだアヤの誤解は続いているから、本当の一件落着はまだ遠い気もするけれど――それでも、これ以上の騒動は起きないだろうし。デュラシアは一度目覚めたし、薬もしっかり飲んでいる。なら大丈夫。もう何も起こりはしない筈。 「うん、これで一件落着なのだよねっ♪」 思考を纏めたイオは、今日一番の笑顔で云い切った。 遠くでシキの絶叫がしたけれど、それは気のせいだと思うことにした。 (アイのおわり)
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