アクセサリーハウス 『幻想曲』の中庭は、実は然程大きくない。一般家庭よりかは大きいだろうがそれでも広大というわけではなく、白いテーブルと椅子が二組、それからベンチが一脚置かれているだけだ。テーブルと椅子を隅に寄せてレジャーシートを敷けば、十人くらいは座れるかもしれない。 中庭の見所は四季折々の花にある。ピンクに黄色、紫に白。ぽっかり空いた空間を囲むように並んだ花々は季節によって違う顔を見せ、見る者の眼を楽しませてくれる。大輪の薔薇園のように華美ではないけれど、優しく温かみのある場所だ。基本的に客が入ることはなく、ほぼ従業員の憩いの場として存在している。 その憩いの場に、最後の審判・トレーネ(a19477)の姿があった。庭の手入れをするのも従業員の仕事のひとつ。緋色の髪を靡かせて、彼女は花々に恵みの雨を降らせていく。 若々しい葉に水滴が散り、乾いた土の色が少しずつ変わっていく様を眺めていれば、傍から愛しい人の声がした。 「トレ、終わったぜ」 トレーネが顔を上げた先、植木鉢を片手にやってきたのは紅虎・アキラ(a08684)だ。鉢の花を庭に植え替えていたようで、彼の片手には軽く十を越す鉢が積み重なっている。相当の長さになっているが其処は狂戦士、重さもバランスも問題無いらしい。 「有難うございます、アキラさん。手伝わせてしまってすみません、今日非番でしたのに……」 「気にすんなよ、散歩してただけで俺も暇だったし」 鉢を降ろして軍手をズボン後ろポケットにしまいながら、アキラは大したことないと手を振った。暇だからと散歩をしていたのが良かった。本当に唯の偶然で、植木の隙間から悪戦苦闘中のトレーネを見つけられたのだから。 運んできた鉢を見下ろす。トレーネは一人でこの量を移植しようとしていたのだ、体力のあまりない彼女には重労働の筈である。 「こんだけあるなら、誰か適当に手伝わせりゃよかったのに」 「皆さん、お忙しそうでしたから……」 「睡眠時間を削らせりゃいい。デュラシアとかシキとかヅラシアとかメフルとか」 「……それ、なんだかんだで二人しかいませんよね?」 「あいつらなら問題ねェよ――と、」 アキラの言葉が止まる。視線の先はトレーネの顔だ。 「ど、どうしたんですか?」 「……いや、付けてるんだなーって思って」 己の耳を指で示して、アキラは歯を見せてニカリと笑った。瞬間、トレーネの頬にゆるゆると朱が上る。 トレーネが付けている耳飾り。紅玉を嵌め込み繊細な模様をあしらったそれは、アキラが彼女に贈った誕生日プレゼントだ。苛烈なまでに鮮やかな赤は、彼そのものを表しているようで。それがなんだか嬉しくて――思わず耳飾りに触れれば、頬がより熱くなった気がした。 突然黙りこんだトレーネに首を傾げ、アキラは徐に手を伸ばし、彼女の額に掌を当てる。 「? 風邪か? 風邪は良くないぜ、たまご酒でも作れば一発、」 「い、いえっ、大丈夫ですから! アキラさんはお気になさらずです!」 わたわたと顔を真っ赤にして断るトレーネに、そうか、とアキラは掌を下ろした。この男、相当の鈍である。 ――その鈍感と純情を観察する、怪しい影が茂みにふたつ。 (トレっち頑張ってもうひと押し! 其処でぐっとアキラ君を捕まえるの!) (ねーねーハクカたんっ。アキラ兄もトレーネたんもどーしちゃったの?) (しっ、今二人はとってもいいところなのっ、云うなればこれはシャッターチャンス! 花咲く庭で純情乙女が恥じらう様を私たちはしっかり目に焼き付ける義務があるのよっ!) (うーん解った☆ これが青春ってやつだね☆) 鼻息荒く語る龍に歌う真白なる花・ハクカ(a12573)に、柿ピーは笑顔の為に・ブラック(a33097)は頷いた。うふふそれにしてもトレっちには悪いけど全く気付かないアキラ君萌えるわねハァハァ。隣から聞こえてくる台詞は何処の変質者といった感じであるが、それを喋っているのはハクカだ。実に通常運行。 二人が何をしているかと問われれば、見て解るように出歯亀である。一体いつから居たのか、ハクカの頭には舞い散る緑葉が幾枚も貼りつけられていた。ドリアッド特有の髪色も髪に咲く白薔薇もカムフラージュに一役買っている。ブラックはハクカに巻き込まれただけで全くそのつもりはないのだが、すっかり出るタイミングを逃してしまった。 トレーネを手伝いに来ただけなのに、とは思うけれど、なんだか行ける雰囲気でも無いし。敬愛してやまない義兄に話しかけられないのは心から残念だが、同じ旅団に属しているのだ、いつだって話すことは出来る。 それよりも。 とっても、暇だ。 ブラックはひとつ大きく欠伸をし、眠たげに隣の彼女を見遣った。よくよく考えたらまだ仕事が残っているわけだし、ずっと屈んでいるものだからいい加減足が疲れた。昨日買ったばかりのチョコ柿ピーも食べたい。 (ハクカたーん、ボクもう帰っていーい?) (え、もう少しだけ付き合ってお願いっ! 今動いたらバレちゃう!) (だーって暇なんだもふぁ――ッぐぅっ!?) (くしゃみは駄目ええええええ!) 凄まじい勢いで口を抑えられ、眼を白黒させるブラックは確実に被害者であろう。口だけでなく鼻まで塞いでいることに気付かず、小声で叫ぶという器用な技を繰り出したハクカは片手で己を掻き抱き、大きく身をくねらせた。翠の瞳はこれ以上無いほどに萌えている。違った、燃えている。 (そう、ここでのトレっちとアキラ君は言うなれば桃色全力青春模様! 吹けば舞い散る桜吹雪の如く儚く、美しいバランスで成立しているまさに奇跡の両・天・秤! つつけば何か新しい萌えが生まれるかもだけど放っておくのもまた楽しそう…あぁん! もどかしいっ!) 「……キミ達何してるの?」 「ひゃんっ!?」 「ぷはあっ!」 萌え、ないし燃えは、あっという間に打ち砕かれた。 不意打ちで頭上から声が降り、同時に銀の髪がぶらりと二本垂れ下がる。驚いたハクカが植え込みに前のめりに倒れてしまって、声の主であるイオは「そんなに驚くなんて思わなかった」、と頬を掻いて謝った。窒息寸前まで追い込まれていたブラックは涙目で「ブラキス君殺人未遂…これは事件だよ…」とぶつぶつぼやいている。目が虚ろなのがまた怖い。 「ハ、ハクカ、さん……っ!?」 「おー、ブラキスにイオもいるじゃねェか。久しぶり」 二人に気付いたトレーネの顔が、熟れたトマトのように赤く染まっていく。のんびり友人たちに向かって手を上げるアキラはその様子に全く気付いておらず、且つ彼女等が何故急に現れたかも疑問に思っていない。やっぱり鈍感だ。 「アキラ兄ー! 会いたかったよー☆」 窒息死の恐怖から脱したブラックが一直線にアキラへ抱きつく。アキラはそれをがっしり受け止めて、甘えん坊な義弟の頭を撫でた。久しぶりの義兄に甘えられ、ブラックは嬉しそうに笑う。 「トレっちにアキラ君はろはろ〜♪ 今日もいい天気だねっ♪」 「い、居たなら声を掛けてくださいよぅ!」 輝かしい笑顔を顔面に貼りつけて誤魔化しに掛かるハクカの笑顔も、トレーネには通用しない。目の前でにこにこ笑う女性が何をしていたかはよく解っているのだ。 ワイワイガヤガヤ。急に目の前で起こった騒ぎに、イオはこてり首を傾げた。中庭に逃げ込んだ矢先、目の前で変質者並に怪しい二人がいたから声を掛けてみたわけだが……アキラとトレーネが庭で二人きり、それを隠れて見ていたのはハクカとブラック。で、トレーネが真っ赤になってハクカに詰め寄っている。 付き合いの長いイオにも理由が解った。狐の尻尾を垂れ下げる。 「えーと、トレ姉。邪魔してごめんなのだよ?」 「イオちゃんんん……っ!?」 追撃を掛けられたトレーネは、見ていて可哀想になるくらい涙目だ。 ハクカの首がぎゅるんとイオに向く。表情は変わらず煌めいている。 「イオイオ久しぶり〜♪ 今日もイオイオはぷりちーできゅーとだねっ♪ 今度デートしようよっ、お姉さん頑張っちゃう♪」 「ハクカさんおひさなのだよー。…今日も萌えの探究に精が出るねぇ」 「みんなしてもぅ可愛過ぎて可愛過ぎて…一体お姉さんをどうするつもりかしらね? 困っちゃう♪ あ、イオイオは何してるの〜? お散歩?」 「あ」 「ハクカさんっ、お話は終わっていませんよぅっ」 劣勢だったのか、話を逸らそうとしたハクカの試みは失敗に終わったわけだが、イオの目的を思い出させるには効果的だった。ついつい足を止めてしまったけれど、今はそれが命取りになる可能性が高い。 「そーだボク此処で止まってちゃ駄目なんだっ、あのねごめん、ラシアにボクのこと訊かれても、見てないって云っといて!」 「へ? デュラ君? なんでまた」 「えっとラシア今かなり頭おかしくなってて!」 「? デュラシアの頭がおかしいのはいつものことだろ?」 「えっとそーなんだけど、今回は特別おかしいっていうかメフルのせいっていうか……」 「シキさんのせい……ですか?」 「ねー、あそこにデュラたんいるよ」 「そうラシアがあそこに………………………へ?」 アキラにしがみついたままのブラックが一点を指す。 喫茶スペースと雑貨スペースを繋ぐ連絡通路――の、四角い窓。 そこに、蛙のようにしがみつく男の姿があった。 「げ、ラシア!」 「見つけたわよイオイオ!」 前述したが。 連絡通路には窓があり、其処から花咲く中庭が見える造りになっている。 つまり。 「今そっち行くから、もう其処から動かねぇで頂戴ね! イオイオがどれだけ好きかってことを伝えてぇだけなのに全くもうぷんぷん!」 「そ、その前に逃げ――嘘ぉ!?」 決して大きくは無い窓を開け放したと思えば、デュラシアは窓に巨体を滑り込ませた。中庭に通じる扉まで行くよりかは窓を乗り越えた方が早いとの判断だ。窓はデュラシアがギリギリ入るサイズ。真正面から見ると、彼が壁をすり抜けて近付いてくるようにも見える。 片足を掛け、乗り越えるだけの大きさが窓に無かったので、仕方のない方法ではある、けれど。 「イィィィィィィオォォォォォォイィィィィィィオォォォォォォォォォ」 「いやー! なんか来るーーー!!」 髪を振り乱し、瞳をぎらつかせて窓から這い出て来る様はアンデッドそのものだった。折角のイケメンが台無しである。 アンデッド・デュラシアに己の名を呼ばれたイオは気が気じゃない。足がすくんで、叫ぶことで恐怖を誤魔化すしか出来なかった。もういっそ退治してしまいたい。 「あ、あれデュラシアさん…ですよね……」 「モンスターにも見えるが…ありゃそう…だな……」 「う〜ん、いつもの般若なデュラ君を見慣れてるからまだ耐性あるけど、これ見慣れて無かったら攻撃してたわねぇ〜…」 流石の四人もドン引いている。 ――かと思われたが。 「デュラたん、イオたんを捕まえたいんだね☆」 一人、ブラックだけは平然とした表情でデュラシアの目的を実に正しく読みとった。 あまり知られていないが、ブラックはデュラシアの幼馴染だ。知った仲、デュラシアの奇行には慣れっこだったし、奇行に走ったからと云ってデュラシア自身が変わらないことも知っていた。 そして彼は、大層面白い事件が好きだった。 名に恥じないほどの黒い瞳がキラリと光り、薔薇吹雪がイオを襲う! 「ラキス!?」 殺気無き攻撃にストライダーの反応力が働いた。ブラックから繰り出された薔薇の剣戟をなんとか避けて、イオは彼から距離を取る。 いきなりのことに頭が追いつかない。これまで出会う友人たちは皆が己を逃がす為に動いてくれていた。理由を知らないとはいえ、デュラシア側に付く人がいる可能性をイオはまるで考えていなかったのである。 「イオたん覚悟! 柿ピーパワー舐めるなぁっ☆」 「ちょ、ラキスお願い今は逃がしてなのだよ!」 「ブラキスよくやった! そのままイオイオを足止めしてくれぃ!」 「解ったよデュラたん☆」 「解っちゃ駄目なのだよ何このコンビネーション!」 ブラックは夜色のサイドテールを邪魔にならないよう後ろに流し、じりじりとイオに近付いていく。助けを求めてハクカを見るが、ハクカは手元のメモ帳に視線を落とし、ぶつぶつ呟きながら何事かを書きこんでいる。眼鏡を光らせ、真顔で筆を走らせる姿は出来る女性像そのものだけれど。 「なるほど…イオイオはこういう顔も可愛いのね……。これはアプローチをもうちょっと考える必要が……」 「…………」 イオはハクカに助けを求めることを諦めた。無理だ。一ミリも期待は出来ない、というかこの分だと彼女も敵に回りかねない。 人に頼ってばかりではいけないとイオだって解っている。でも、正直この状態のデュラシアから一人で逃げられる気があんまりしない。其処へブラックが加わったとなれば尚更だ。 トレーネとアキラに眼を向ける。イオの瞳がギラリ輝いた。 「アキラさんごめんっ、文句は後で受け付けるのっ!」 「あ?」 云うが矢先、イオの足元から人型の人形がいくつも生み出される。仮初の命を得た下僕たちは数瞬ゆらゆら揺れた後、わらわらとアキラの元に集合した。イオが小さく呟けば、それらは力を合わせてアキラを一気に持ちあげる。 彼女が何をしたいのか、察したアキラの体温が冷える。 「いっけええええええええええ!!!」 「一寸待ったあああああああああああ!!?」 悲鳴虚しく。 下僕たちによって、哀れアキラはぶん投げられた。 投げられた義兄に眼を向いたブラックが追撃の手を止める。人間大砲と化したアキラが弧を描いて飛ぶ様を見届けることなく、その隙を付いてイオは中庭を脱兎の勢いで走り抜けた。仕事を果たした下僕たちは、満足したようにボロボロと元の土くれに戻っていく。 ――イオの目論見ではデュラシアとアキラを激突させるのが目的だったのだが……彼女は混乱のあまり、実に当たり前なことにも気付けなかった。 土塊の下僕には身長約六十センチ程度しかない。それは何体集まったって同じこと。担がれたところで、アキラの位置は地面から約六十センチしか離れていないわけで。 ――デュラシアの足元にすら届くこと無く、アキラの顔面は地面にめり込んだ。 ぐしゃッ、と不快な音が中庭に響く。「アキラさん!」「アキラ兄!?」トレーネとブラックの悲鳴が重なった。 めり込んだアキラは微動だにしない。意識が無いわけではなく、あるからこそ起き上がれないようだ。デュラシアは「ごめんアッキー!」、と彼の頭上を飛び越え、イオを追う為走り去ってしまった。 鬼ごっこが始まってから早数時間。 初の“無駄な犠牲”である。 「アキラ・フェステはアクセサリーハウス 『幻想曲』にて重傷を負いました。完治にはあと三日必要ねっ!」 「ハクカさんは一体何を云ってるんですかぁ! アキラさん…っ!」 「ふふ…ごめんごめん♪ 誰かが言わないとな〜って思ってね」 何処かに向けてお仕事を果たしたハクカがウィンクをする。ついでに舌もぺろっと出してみた。「…ところでトレっち〜、」 星を映していた可愛らしい瞳が、一瞬でハンター仕様の物に切り替わる。 「折角なんだし、アキラ君に膝枕とかしてあげたら〜?」 「ふぇ!?」 口元に握りこぶしを当て、名案を告げたハクカにトレーネが噴火した。 「こ、こんな時に何を…!」 「いや〜寧ろこんな時じゃないと出来ないじゃない? トレっちごーごー♪」 「ごーごーじゃないですよぅっ」 「……がふッ」 「アキラ兄ご愁傷様」 鼓膜に響く各々の声を聞きながら、アキラは己の不幸をしかと噛みしめた。 かつては“紅虎”の名で恐れられた彼も。仲間に囲まれた今では、唯の苦労人でしかない。 (タイセツにしたい騒がしさも、ある)
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