紅茶好きのデュラシアが一番力を入れている喫茶スペースは、老若男女誰にでも受け入れられるようにと非常にシンプルな内装をしている。 黒い金属製の丸テーブル、一つの折り目も乱れも無く掛けられたクロスは対象的な白。その上に置かれたのはデュラシア手書きのメニュー表。椅子もクロスと同系色でシンプルに纏められ、部屋の隅には磨かれたグランドピアノが鎮座している。壁にはデュラシアが市で見つけてきた風景画に加えて、集めた紅茶のラベルが貼られており、無機質だった白い壁に彩りを添えている。 その一角。丸テーブルのクロスから、二本の腕らしきものと、足らしきものが見えていた。 「こ、この時間ならお客さんあんましいないのだよね……?」 こそこそと、イオはテーブル下でぼそり呟く。今更だが、赤い服に身を包んだ自分の姿はシックな店内では目立ちすぎる。目の前でひらひらしているテーブルクロスが自分の身を隠してくれると踏んでのことだ。 忙しい時間帯はもう過ぎて、今は客も従業員ものんびりムード。店内に残っている客は紅茶を片手に新聞へ目を落とす老紳士と、甘いケーキと恋話を肴にして語らう少女たち。それから、 「……かくれんぼ?」 アクセサリーハウス 『幻想曲』の常連客、且つイオの義兄でもある翠烟・サギリ(a16201)くらいだ。 「し、ギー兄駄目なの、バレちゃう!」 口に人差し指を当ててしーっとポーズを取るイオ。そのポーズがサギリに伝わる筈は無いのだが、やらずにはいられなかったのだろう。手短かながらに現在の状況をイオが話せば、ふわふわのホイップクリームが掛かったココアパウンドケーキをフォークに刺して、口元へ運びながらサギリは頷いた。髪に咲く銀木犀が、頷きに合わせてふわりと香る。 「わかった。私もイオまもるぞ」 「はぅ、ありがとなのー…ほんっと助かるのだよ。じゃ、ごめんなのだけどお願いなの」 「あぁ。任せておけ」 客が来るかもしれないテーブルの下では、万一を思うと隠れることなど出来ない。サギリがこの場にいて良かったと、イオはしみじみ思う。 サギリは彼女が他にばれぬよう、先程と同じ所作を繰り返した。ゆっくりした動きでココアパウンドケーキを紅茶で流し込みながら舌鼓を打つ。倖せの味を噛みしめていれば、彼の前方に人影が見えた。 「む」ガタッと椅子から立ち上がる。サギリの足音が遠ざかった。 何事かと思うイオの耳に、よく知った声が飛び込んでくる。 「姉貴ー…っ!」 「わわ、サギりんなぁ〜ん!」 銀の髪、苺色の瞳、種族特徴の黒いノソリン耳と尻尾――現れたきらきら星の夢物語・サガ(a16027)は、飛び込んできた甘えん坊な義弟に顔をにっこり綻ばせた。約二メートルはある義弟をしっかと抱きしめて、彼女は彼の頭を撫でる。 「相変わらずおっきいのに甘えっこさんなぁ〜んね〜♪」 「甘えてるのではない、遊んでほしいだけだ…っ」 なでなでぐりぐり。突然行われた姉弟の抱擁に周囲の客が驚くかと思えば、彼らもほのぼのとその様子を眺めている。サガとサギリの抱擁に限らず、此処では抱っきゅるも日常茶飯事だ。仲良しっていいじゃないか。 その様子を聞きながら、イオは安堵しつつも小さくため息を吐く。 (はぅー、ボクもカリン姉にぎゅーしてほしいのだよぅー…) サガはイオの義姉にもあたる。自分だってサギリのように飛び出して、おねーちゃんと云って甘えたい。が、今出るわけにはいかないのでじっと我慢の子でいよう。しょんぼりしながら思ったときだ。 テーブルクロスの隙間から、サギリとはまた違う、男物の皮靴が見えた。 「お、ギーいらっしゃいー。ノソサガちゃんはお疲れさまー」 「デュラさんお疲れさまなぁ〜んよ〜♪」 デュラシアが、目の前に、いる。 足止めをしていたゼンとアンシュは残念ながら敗れたらしい。デュラシアを見たサギリとサガの様子が変わっていないことから察するに、彼のヅラも狩られることなく生存しているようだ。 イオは息を殺してデュラシアから最も離れた場所に移動した。テーブル下だから大した距離は稼げないが、それでも気持ちの問題だ。酷い言い草に聞こえるかもしれないけれど、今はなるべく近くにいたくない。デュラシアが自分を好きだと云いながら奇声を放ってやってくるのだ、誰だって怖いに決まっている。 イオに気付いていないのか、デュラシアは二人と軽い談笑を交わす。サギリはイオを思って緊張しているのか小さく一言二言交わすだけだが、違和感は感じさせない。 あまりにも普通な会話にイオが首を傾げる。ラシアはもう、ボクのことを探してない? 薬が切れたかと一瞬思うが、 「それでさ、二人ってイオイオ見なかった?」 そんなわけはなかった。 イオイオ?、とサガが可愛らしく小首を傾げる。 「ボクは見てないなぁ〜んよ? イオイオ、もうシフト終わったから帰ったと思うなぁ〜ん…」 「そっかー…ギーは見た?」 「…いや、見てない」 サギリの言葉にイオはホッと胸を撫で下ろした。「イオイオの匂いがこのあたりからするんだよなぁ」、と実に変態的な発言をするデュラシアに悪寒を感じながらも、自分を護ると云ってくれ、且つその通りにしてくれた義兄に心からの感謝を送る。 「イオイオがどうしたなぁ〜ん?」 「うーん、話せば長いんだけど……俺のラブを恥ずかしがっちゃってさ」 「……らぶ、なぁ〜ん?」 「そんな、肝心な時に素直になれないイオイオも可愛いけどね」 「……でゅらしあ、とうとうあたま狂ったか」 サギリが半眼で云うけれど、デュラシアは何処吹く風だ。サガもうーんと首をより傾げるが、デュラシアは常に愛を振りまいているような人間だし、特に発言自体を疑問に思うことはなかった。 「イオイオ、何処行ったなぁ〜んね? サギりん」 「ああ、イオは其処のテーブル下にいるぞ、姉貴」 間。 サガが目をぱちくりさせる。 「……ふぇ? イオイオ、いるなぁ〜ん?」 「……あ」 (――ギー兄!?) イオの身の毛がぞわわとよだつ。視線を感じて前を見る。 サングラス越しの赤茶が二つ。 クロスと床の隙間から、爛々と輝いていた。 「イオイオ、みーつけた☆ きゃっ☆」 「そんな可愛く云われても怖いものは怖いのだよーーー!!」 「イオイオなぁ〜ん!?」 デュラシアのいる場所とは正反対を狙って、イオはテーブル下から飛び出した。しばらく動かなかったせいで足の関節がやや固まっている気もするが、今は構っていられない。サガは突然出てきた義妹に驚きっぱなしだ。 「イオ、すまん……」 しょんぼりとしたサギリの声が駆ける背中に響く。人選ミスだとは云わないが、タイミングが少し悪かった。素直なサギリは、家族に対して嘘を吐くような性格をしていなかったのだから。 脱兎の勢いでサガとサギリ両名から遠ざかる。デュラシアはテーブルを迂回するより早いと思ったか、丸テーブルに片手をついて飛び越した。喫茶スペースから出ようとするイオを狙って長い手が伸びる。 靡く銀髪に触れるか触れないかというところで――タイミングの神様はイオに微笑んだ。 代わりに、犠牲者が出たわけだが。 「イオイオ、捕まえ――!」「休憩おしまいなので、ホール戻りました!」 同時だった。 「チロル逃げてなのだよ!」 「え?」 ピンク色のリボンを揺らして入ってきた少女――焔の刻印・チロル(a35943)に、イオが悲鳴にも似た声を上げる。とはいえ、叫んだところでいきなりの事態に彼女が逃げられる筈もなく。 きゃあ、と可愛らしい悲鳴を上げたチロルとデュラシアが激突した。 大人と子供、男と女。且つ、チロルは平均と比べて体重が軽い。何処からか息を呑む音がする。誰もが少女の安否を心配したが、 「……捕まえた」 「え、あ、デュ、デュラシアさん…!?」 ――チロルが怪我をする事態にはならなかった。 代わりとばかりに、デュラシアの力強い腕に小さな体躯が抱きしめられる。耳元で甘く囁かれる内容は惜しみない愛の言葉だ。目を閉じているからか、彼は少女がイオで無いことに気付いていない。 もしイオとチロルの体格がまるで違ったなら、目を閉じていたとしても抱き締めた瞬間に彼は気付けただろう。しかし残念なことに、チロルは体格も身長もそんなにイオと差が無かった。付けている香水等で匂いに差があったとしても、三人がいる場所は茶葉がストックされた棚の真横。漏れた香りの吹き溜まり。 勘違いしたままのデュラシアの囁きは止まらない。 「好きだ……本当に、好きなんだ」 栗色の瞳が大きく見開いて、色白の顔が瞬間的に沸騰した。 「どうして俺から逃げたんだ。……そんなに、俺じゃ駄目か?」 「――ッ!?」 イオの身代わりとなってしまったチロルは突然の出来事に混乱し、可哀想に、「あ、あのあの、チロルにはエンジさんがですね…っ」、とデュラシアの腕の中でプルプル震えている。けれども、困惑もしくは怯えの色が強いのか、チロルの微かな声ではデュラシアの鼓膜に響かない。 そろそろ限界と云わんばかりに目を回し始めたチロルに、デュラシアが追い打ちを掛けていく。 「もう、離さねぇから」 「デュラシアさ」 「俺の気持ち、解ってくれるって信じてる」 「ち、チロルはっ、エンジさんっ、がっ」 「俺はイオイオが大好き――ん? え、チロルちゃ」 「エンブレムブロウ!」 「ぐぼらッ!?」 「イオさんー!?」 武器が無くてもアビリティは撃てる。 これまでは薬のせいだから、可哀想だから、と良心がイオを抑えていたわけだが、これはとても見過ごせなかった。武器無しだから威力は少ないが、少ないなりに全力で奥義をデュラシア目掛けてぶちかます。周囲の客が離れたテーブルに移ったことを確認してから攻撃するあたり、イオも従業員のはしくれというべきか。 横から来た攻撃は少なくともデュラシアの不意を付けたようで、衝撃によりバランスを崩したデュラシアの頭が棚の角に激突した。解放されたチロルはその場でへたりと座り込む。 「…っ、ありがとうございま」 「ラシア! いっくら薬でおかしくなってるとはいえ、チロルにはエンジさんっていう飼主がいるんだから、めっなのだよ!」 「イオさんっ、エンジさんは飼い主じゃないですよぅ…っ」 顔を真っ赤にし、犬の尻尾をパタパタ振って云うチロル。恋人のことを慌てた様子で話す姿は、先程の惨劇を忘れさせてくれるくらいに癒されるものだった。あっという間に周囲の空気が春色になる。 イオの攻撃よりも棚の方が致命傷となったようで。相当強く頭を打ちつけたらしいデュラシアの頭上には星とヒヨコが舞っている。呻き声らしきものは聞こえるが、様子からしてすぐに起き上がれる状況ではなさそうだ。今のうちに逃げなければ! 「あの、イオさん。これはどういうことでしょう?」 巻き込まれたチロルが当然の疑問を投げかける。イオは眉を下げて、顔の前で両手を合わせた。 「チロル本当ごめん! 説明したいのは山々なのだけど、ボク今のうちに逃げなきゃ」 「逃げるって、追われてるんですか!?」 「うん、ラシアが一寸――いや大分おかしくなっちゃって…ホントごめんね!」 「え、あのっ」 チロルの言葉を最後まで聞くこと無く、イオは扉の向こうへと行ってしまった。残されたチロルは首を傾げる。考えているうちにデュラシアは復活して、イオの名を叫びながら扉の向こうへ消えてしまった。 イオの話だけでは、何があったかよく解らない。 よく解らない、けれど。 「デュラシアさん、本当はイオさんのことが好きなんでしょうか?」 「わわっ、チロルさん大丈夫っ? デュラシアさんとイオイオが騒いでたみたいだけど、何かあったのカナ?」 「あ、えっと…チロルにもよく解らないのですが――」 ――こうして誤解は広がっていく。 (のいずが広がる)
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