「御前――ッ!」
 怒鳴り声は布に吸収され、キサの口からはもごもごと不可解な音が出るばかり。その様子を冷めた眼で眺めて、クラウディオは指慣らしとばかりに手首を振った。
 先程と同じように紛い物の闇がキサの視界を無理矢理奪い、有無を云わさず続きを再開させる。そもそも、口が塞がれていては有無を云えるわけもないし、云ったとしても青年に聞く気は無かった。ジィ、とファスナーを下げる音が聞こえて、冷や汗が吹き出るのを感じる。
 どうせ戯れだろうと思っていた。御前が欲しいって言葉だって、それは玩具をねだる子供のようなもので。メリットなんかひとつも無くて。あるとしてもただの暇潰しで。
 そんな理由だけで遊ばれるのも、キサにしてみれば良い迷惑。そして抵抗しなければ彼がすぐに飽きる事を知っているから、これまで碌にしてこなかったわけだが――猿轡代わりに手袋を噛まされた瞬間、いくら戯れでもこれはやばいと思った。だって手袋を噛まされる理由なんて、一つしか思い当たらない。
 身体を動かしなんとか逃れようとするが、頭と胸元を抑えられて動けない。あの骨と皮しかない身体の何処にこんな力があるんだと思うが、ただ的確に、此処さえ抑えれば相手は動けないという点をクラウディオは肘で実行しているだけである。
 己の腕は拘束されていない筈なのに、どういうわけか指一本しか動かせなかった。上手い具合に背もたれと自分の身体、それからクラウディオの足に挟まれてしまっているらしい。
 警告を告げるアラートが少年の脳裏に鳴り響く。覆う掌だけでもなんとか外そうと首を振るキサに、冷めた声が降ってきた。
「無理に動こうとするな。筋、痛めんぞ」
 それは心配して云っているのか、それとも単に煩わしいからか。――きっと後者だろう。それが余計勘に障る。
 首筋に軽いキス。触れるか触れないか、そんな距離で軽く唇で舐められる。途中で止まっていたファスナーが音を立て、肌に風を感じて寒気がやってきた。上着の襟元を乱暴に掴み横下に引き下げられ、肩を露出させられたのが解ってキサは眉間に皺を寄せる。他人に着替えさせられているような錯覚が起きて、情けない気持ちになるのだ。
 クラウディオの骨張った指が、ゆるゆるとキサの胸元をさする。
「ほんま白いな…傷ひとつないんやな」
 紅が綺麗に映えそうや。そう続けざまに云う青年の言葉になんの事かと思えば、胸元にピリリと微かな痛みが起こった。突然の刺激に驚いて身を跳ねさせ、キサは後悔する。今の刺激が有効だと、クラウディオに感づかれてしまったかもしれない。
 クラウディオはキサの身体をいとおしむように、紅の花をいくつも咲かせていく。その度に身体が跳ねそうになるのを必死で耐えた。肌を撫でるやけに優しい口付けに、思わず誤解しそうになる。ただの戯れなんかじゃないのだろうかって、思わされてしまう。
 しばらく耐えていると、クラウディオがのそりと身体を動かした。
 重みがやや退いた事に安堵するが、身体は変わらず動かないし掌が外される事も無い。キスの雨も降ってこない。
 飽いたにしてはどうもおかしい。兎がそう思った矢先、
「ん――!?」
 兎の身体を電流が走り抜けた。先程とは比べ物にならないくらいの跳ね方を披露する。
 露わになった桃色の突起を、クラウディオが歯で緩く噛んだのだ。痛みとは別の感覚にぞくりと背筋が粟立って、意思とは裏腹に腰が浮く。然程強く噛まれたわけではないのにジクジクと痺れる突起には、血がにじんでいるのではないかと思わせるほどに強烈な刺激が尾を引いていた。
「ああ、御前此処イイんか?」
 たった今気付いたような、白々しい声。――まるでオンナみたいやな。わざわざ敏感な兎の耳に口を持ってきて、根元を舐めながら器用に獣は囁く。
 拒絶するように長い耳がふるふると震えるが、哀しい事に、其処は人よりも敏感な兎耳。どんな音も逃す事は無い。
「んーっ、んむー!」
 怒りを露わにしたキサの唸り声に、クラウディオは眼を細める。ピンと立った突起を満足そうに指で弾いてから身体をより深く沈ませ、クラウディオは口内に赤く充血した突起を含んだ。温かな舌でキャンディを転がすように口の中で弄ぶ。空いた左手で、もう片方の突起を弄る事も忘れない。
 片方はねぶるように舐め転がし、もう片方は引っ張ったり押し潰したり。精々風呂場で身体を洗う時くらいしか触れない場所にこれまでされた事の無い刺激を与えられ、兎の背がびくびく跳ねた。
「……ッ、――!」
「は、やっと鳴きよったか」
 組み敷かれ、目元こそ見えないものの顔を真っ赤にさせてそれでも耐えるキサの姿に、雄の本能が顔を出した。突起を執拗に舌で転がす。人差し指と中指で器用に捏ねまわす。
「兎やのうて、魚みたいや」クラウディオが喉を鳴らした。「いや。…男を惑わせるってなら、人魚の方がお似合いか」
 じろりと睨もうとするが、大きな掌で押し付けられた瞼は開く事さえ許されず、そもそもキサに睨む余裕なんてありはしない。痛いようなむず痒いような気持ち良いような、なんともいえない感覚がキサを襲う。
 ――人には感覚器官というものがある。味覚、聴覚、嗅覚、触覚、そして視覚。そして大抵の人は視覚に頼って生きている。視界が閉ざされた分、その他が鋭敏になっていくのは必然だ。
 胸の飾りを弄り回す指と舌の感触も、わざとらしく立てるリップ音も、部屋中に満たされた紅茶の香りに交じる汗も。より鮮明に解ってしまい恥ずかしさが増幅される。
 息苦しいのも忘れて。いいようにされる悔しさと情けなさで目頭から涙が滲み、クラウディオの掌を濡らした。
「――」
 ぴたりと、クラウディオの手が止まる。紛い物の闇が外れ、光がキサの視界に飛び込んだ。手袋が外される。噛まされていたせいで飲み込めなかった唾液が糸をひいた。
 涙に濡れる顔を、身を乗り出してきたクラウディオが覗きこんだ。霞んだ視界いっぱいにぶっきらぼうな顔が広がる。
「こんくらいで泣いとんのか。お子様やな」
 涙の理由を勘違いした上、小馬鹿にした物言いにプチンと来る。
「誰があれっくらいで泣くか…! いいひゃらそこどけ!」
「口がまわっとらんぞ」
「煩いへたくそ!」
 ピキ、と空気の凍る音がした。
 それは純粋な胸の痛みから来る台詞と恥ずかしさによる噛みつきだったが、クラウディオにはキサの精神状態など関係無い。
 紫の目が細くなる。雷が夜の奥に浮かぶ。あ、と失言に気付いたがもう遅い。
「ほう。……此処、こんなにしといて云う台詞か」
 電光石火。そんな言葉がよく似合う俊敏な動きでクラウディオはキサの両手首を片手で掴み、上に上げた。足の間に滑り込ませていた左膝で、キサの中心部を軽く突く。
 軽く盛り上がったズボンの前は、しっかりと固くなっていた。
「御前も男や。自分がこうなっとる意味、解るな?」
 キサの息が詰まる。相手が相手だし、実際痛かったし変な感覚だったしで、興奮しているわけじゃないからきっと大丈夫だと自分を騙していたが。
 身体の中心に集まった熱を自覚することでより感じてしまい腰がぞくりと痺れた。恥ずかしさで顔が紅潮する。
「最後の情って事であえて触れんようにしといてやったが、もうええ」
 そろそろ俺も愉しみたいしな。
 ――口の中で呟いただけの声を、キサの鋭敏な耳はバッチリ拾ってしまった。





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