皺ひとつ無いシャツに袖を通して、ボタンは上までしっかり留めて。色落ちなんて言葉が程遠い朱のネクタイを締めれば、自然と背筋に芯が通る。隈が薄ら残っていることに気付いて眉を寄せるが、あとで白粉でも軽く叩けば目立たなくなる程度だ。問題視するほどのものじゃない。
 髪を撫で整えて眼鏡を掛け、深い藍色のブレザーを羽織ってまたボタンを留める。その時ネクタイの位置を調節することも忘れずに。
 朝の日課――というより、ただの着替えを行っていれば、


「……詐欺だよなぁ」


 背後から慣れた声が飛んだ。
 驚くことも無く、振り返りもせず淡々と問う。


「何がだ」
「その変身、すげぇ」


 女の化粧と通じる物があるぜ。そうケタケタ笑いながら全世界の女性を敵に回した男は未だ着替えておらず、それどころかベッドから起き上がってもいなかった。遅刻するだろうに、とは思うけれど、どうでもいいのだろう。
 遅刻することが、ではなく。
 強いて云うなら学校自体が。
「なあ、」神宮寺の視線が背に刺さる。


「ソレ、疲れない?」
「……何が」
「そうやって、“きちんとした”格好でいること」


 時間の無駄としか云えない会話に自然、ため息が漏れる。
 着替え自体はいつも通りで、代わり映えのしないもので。幼馴染だからか、それとも家同士の策略かは知らないが、ずっと“同室”という形で寝食を共にしているんだから御前は毎日見慣れているだろうに。
 毎日どころか、幼い頃から見慣れているだろうに。


「この方が落ち着く。いいから、無駄話しないでさっさと起きろ馬鹿」


 ふうん。
 思わず漏れただろう呟きが耳に入るが無視する。朝の貴重な時間を、奴に付き合って消費する必要はそもそも無いのだ。
 にやついた笑みを浮かべているだろう神宮寺を意識から外そうとし、けれども背後からガサガサ音がしたから、結局振り返ってしまった。
 視線をやって、目が点になる。


「……何故ごみ箱を漁ってるんだ」
「いやちょっとさー。聖川くんに思い出させてあげよーかなーって」


 口笛でも吹きそうな程にご機嫌な神宮寺に、己の青筋が浮き出るのが分かる。
 人を食ったような笑みも、のらりくらりとした口調も、全てが俺を苛立たせているってコイツは分かっていないのか。
 それでも見捨てて部屋を出ないことに気付いてしまったんだから、余計に苛立ちが強くなる。


 ああもうさっさとしろ。云いたい事があるなら早く云え。
 其処まで思った処で思考が止まる。
 奴がごみ箱から取りだしたのは、開封済みの――



「あんたは、乱れる方が好きな癖に」


(忘れたい? 馬鹿を云うなよ)


 ――開封口に唇を寄せた神宮寺の表情は、昨晩と同じものだった。