case1 彼の場合


「ありがと、おにーちゃん」
 たまたま迷子になっていた子供を、母親の元に届けた。
 きっと気紛れだったのだろう。俺にしては珍しい行いに内心驚きながら、少女と手を繋いで歩いていて思う。

 その後に。送り届けた後に掛けられた感謝の言葉。
 それが耳から離れない。
「……」
 先程まで小さな手を握っていた、骨張った俺の手を見てみる。
 あぁ、俺はまだ、人と交わって生きていける。
 何となしに、唐突にそう思った。


 ありがとうと言ってくれた少女へ。
 こちらこそ、ありがとう。






 case2 少女の場合


「ありがと、おにーちゃん」
 わたしをおかあさんに会わせてくれたおにーちゃんにお礼を言ったら、おにーちゃんは目を丸くしてた。
 なんで目を丸くしたのかは、よくわからなかったけど。

 もうはぐれないように、って云われて、おにーちゃんと手を繋いだんだ。
 ごつごつしてて、とてもおっきくて、ホントは少しだけ痛かった。
 でも、すっごくあったかかった。
 優しくて、おっきくて、少しだけ痛い、おにーちゃんの手。
 おかあさんがいなくて泣きべそ掻いてたわたしは、手を繋いですぐに泣きやんだ。
 安心したから。

「ね、おかあさん」
 無事に会えたおかあさんと手を繋いで、おうちへ帰る。おかあさんはにっこり笑って、わたしのことばの続きを待った。
 ね、おかあさん。
 また、あのおにーちゃんに会いたいな。
 ちょっとだけ寂しそうに見える、とってもあったかいおにーちゃんに。


 おかあさんに会わせてくれたおにーちゃんへ。
 ほんとうにほんとうにありがとう。






 case3 彼女の場合


「ありがと、おにーちゃん」
 街中をとぼとぼ歩いていると、強面な男の人と小さな女の子と手を繋いで歩いてた。
 一瞬誘拐だろうか、なんて物騒な事を考えてしまったけど、どうやら母親に迷子の子を届けてあげたらしい。
 人は外見で判断しちゃ駄目だね。反省。

 彼と彼女の会話がたまたま耳に入ってしまって、あたしはため息を吐き出した。
 あたしも、素直に感謝が云えるような可愛い女の子だったら良かったのに。ぎゅ、と手の中の携帯を握り締める。もうずっとそうしているからか手の平が汗ばんでいた。
 そうだよ、頑張ろう。今日こそは自分に素直になろう?
「……折角、今日は素敵なものを見れたんだから…」
 素敵なもの。
 ちょっぴり怖い男の人が、小さな女の子をお母さんの所に届けた。
 たったそれだけの事。それでも、それはとても優しくて素敵な事。

 携帯に震える指を掛けた。
 一つずつ時間を掛けて、ゆっくりと番号を押す。
 耳に近づけると無機質な呼び出し音が聴こえ、数瞬遅れて彼の声がした。
 云おう。ちゃんと、今日こそ云おう。勇気を出そう。そしたら、最後は自分を褒めてあげよう。


 名も知らない女の子と男の人へ。
 ありがとうを云う勇気をくれて、ありがとう。


(温かな糸の名は)


 優しさが感染した瞬間から、人は“縁”で繋がっていく。